50代の私が絵本について語ってみたら①

絵本語り 絵本

文工房ライターの小糸あきです。好きなことや伝えたいと思うことを、少しずつ綴っていこうと思います。書きたいジャンルはいくつかあるのですが、まずは私がwebライターとして仕事を始めるきっかけ(こちらのお話はいつか別に書きます)ともなった「絵本」についてです。

世の中の絵本の情報というと子供のために書かれたものがほとんどで、中年や老年のために語られることってあまりありません。私はすでに中年を過ぎ、これからどうあがいても老いの海へと進んでいく船の乗員です。そんな私が絵本について語ったらどうなるのか。そう思い絵本をテーマに選びました。気ままに絵本と船に乗り旅をしてみたいと思います。どのように船が進むかはわかりませんが、勢いに乗ってはじめてみましょう。

まずは幼いころに読んで、折に触れ思い出すことのある一冊の絵本をご紹介します。

「てんぐちゃん」

てんぐちゃん

参照:Amazon.co.jp

【作品情報】
作: 今江 祥智 
絵: 宇野 亜喜良 
出版社: 偕成社
発行:初版 1972年12月/再販2003年1月

おばあさんとてんぐちゃんが紡ぐ物語

【あらすじ】
ある小さな池のほとりにおばあさんが一人でのんびり暮らしていました。ある日おばあさんのところに不思議な生き物が現れます。その不思議な生き物の正体は「バク」でした。おばあさんは鼻の長いバクのことを「てんぐちゃん」と呼んで一緒に暮らします。すると、おばあさんは子供の頃や結婚した頃の懐かしい夢を見るようになり…。

おそらく相当幼い頃に読んでいまだに印象に残っている絵本「てんぐちやん」

この絵本は初版が1970年代発行です。2003年に表紙から本文までイラストがすべて差し変わった形で再販されました。

今回ブログを書くにあたり改めて読もう!初版は確か持っていたはず!と、本棚をさんざん探しましたが見つかりませんでした。手元に取っておいた気がしていたのですが、違ったようです……。それならいっそ初版と再販を読み比べようと思い、ネットを検索したら中央図書館に両方あることがわかり、はるばる行きました。(相変わらず中央図書館は景色もよくワクワクわんだほーな図書館!)

そして借りてきたのですが、再販のイラストは宇野亜喜良(あきら)さんが新たに描きおろしており、繊細な線や色彩がたいへん美しいです。初版と比べるとおばあさんやてんぐちゃんの表情や雰囲気も微妙に変化しているので、違いを見つけるのも楽しかった!でも、私は幼い頃読んだ初版にやはり懐かしさと喜びを感じました。久しぶりの懐かしい景色を見たような嬉しさといえばいいでしょうか。

コラージュが織りなす世界が美しい初版本

参照:日本の古本屋

こちらが初版の「てんぐちゃん」です。再販と比べると表紙からずいぶんイメージが変わったことがわかりますね。

宇野亜喜良(あきら)さんのリアルな雰囲気を感じさせつつも、メルヘンな世界を浮かび上がらせるコラージュの技法は、幼心にとてもおしゃれに感じたのを覚えています。美しいコラージュのおばあさんの洋服や背景は、眺めているだけでうっとりしました。なので再販でコラージュの技法表現がすべてなくなっていたことは、個人的には非常に残念でした。コラージュの技法になにか問題があったのか、宇野さんがイラストをすべて描き直したくなったからなのか、理由はわかりません。でも、コラージュの独特な技法が紡ぎ出す世界はとても魅力的で、私はまさにその世界に入りこんで楽しんでいたのです。

おばあさんに寄り添っているてんぐちゃんの表紙も大好きなので、いつか初版を古本で手に入れたいなと考えています。

私の中に残っていた「てんぐちゃん」は、なぜか悲しい物語だった

幼いころの記憶というのはあまりあてになりませんね。私はこのお話、おばあさんに素敵な夢を見せるたびに、てんぐちゃんはやせ細り弱っていく……。そんな悲しい物語だと思っていたのですが、読み直してみたらまったくそんなお話ではありませんでした。

なぜ、この物語は幼い私にそのようにインプットされたのでしょう。自分でも謎で不思議です。たとえやせ細ってもおばあさんに素敵な夢を見せ続けたい……、てんぐちゃんは、自分を犠牲にしてそう思っているのだ、と勝手にけなげな存在にしたのはなぜなのでしょうか。

この物語を読んだ頃の私は、物心もつかない小さな子供でした。そんな幼い子供だった私が、宇野さんの描くどこかはかない感じのてんぐちゃんに、なにかを感じ取ったのは間違いありません。それはおそらくおばあさんの「老い」ではないのかと感じています。明るく楽しそうに見えるおばあさんにも、「老い」という逃れられない人間の哀しみを消すことはできません。だからこそてんぐちゃんが見せてくれるおばあさんの少女時代や花嫁姿の夢が光り輝きます。てんぐちゃんは、おばあさんの心の深くにある、自分でも気づかない「哀しみ」を投影する存在なのです。

またもうひとつ。幼い私は二人(正確には一人と一匹)にいつか別れが来ることを感じ取ったのかもしれません。幸福に見えれば見えるほど、いつか間違いなく来る別れというものの哀しみの在りように、敏感に気づいたのかもしれません。それらの感情が渾然一体となって、いつのまにか幼い私には、この絵本が悲しい物語として記憶されたのでしょう。

物心もつかないような子供が絵本からそこまで感じ取るわけがない、と思うでしょうか。しかし、優れた絵本というものは、子供に多大なインスピレーションを与えます。「てんぐちゃん」は、間違いなく、幼い私にインスピレーションを与えてくれた絵本のひとつです。美しい物語や絵は、大人がおもっているよりはるかに強く子供に響くのです。いま50代に入った私にはそれがよくわかります。

なぜ「絵本」なのかを自分でも知りたい

私は絵本の専門家でもなんでもありません。人より多く絵本を読んでいるわけでもありません。ただ、ある時期から絵本や児童文学に非常に興味を持ち勉強を始めました。幼いころは漫画ばかり読んでいたので、名作と呼ばれる絵本や児童文学の多くを大人になってから、しかも中年と呼ばれる時期に初めて読みました。いまだ読んでいない名作も多くあります。

いつからか、幼いころ母に語り聞かされた「昔話」や、読んでいた「絵本」、「児童文学」の片鱗が私の中で大きく息づきはじめました。心の棚に無造作にしまわれていた物語たちが、再びページを開いたのです。一体これはどういうことなんだろう。なぜ今、「絵本」や「児童文学」なんだろう。私は自分自身不思議なのです。

ブログを書くのは、「絵本」に対して動いた私の気持ちを私自身が追うことで、その「なぜ」を解明したいからでもあります。

今回は自分の中に残る絵本「てんぐちゃん」を語りました。私の中に眠っていた物語に触れることで子供の頃の感情に少し出会えたような気がします。50代という年代に来たからこそ、子供時代に触れた物語を見つめ直すことで、自分の心を紐解いて行きたいと思います。

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